栗原恵美子(くりはら・えみこ)博士
環境資源科学研究センター
合成ゲノミクス研究グループ 研究員
東京大学大学院で先端生命科学を専攻し、植物の細胞形態の研究に取り組む。博士(生命科学)。2012年に理化学研究所に入所し、2018年から現職。植物細胞が分裂中に生成する代謝物質や、植物の発芽や成長に関わる化合物の機能を研究している。2016年には植物細胞壁の成分「セルロース」の分解を促す化合物を発見した。現在はゴムに着目し、ゴムの木がどのように天然ゴムを作り出しているのか、その合成メカニズムを解明する研究に取り組んでいる。「科学道100冊2021」選書アドバイザー(つながる地球)。二児の母。
天然ゴムの生成メカニズムを研究する栗原美恵子博士。
「毎日ひたすら顕微鏡を覗きこんでいます」。
ゴムの木を病気から救いたい
タイヤ、ゴムベルト、ホース、靴底……、世の中には3000種類ものゴム製品があるという。「ゴムは私たちにとって非常に身近な素材ですが、意外にも天然ゴムがどのようなメカニズムでできているのかは、まだ明らかになっていないのです」。そう話す栗原恵美子博士は、ケミカルバイオロジーのアプローチで、天然ゴム生成のメカニズムの解明を目指している。ゴムの木からつくった培養細胞と、さまざまな化合物を反応させては一つずつ顕微鏡で観察する、地道な研究だ。
ゴムには植物由来の天然ゴムと、化石燃料からつくる人工の合成ゴムがある。SDGs(持続可能な開発目標)のことを考えると、天然ゴムの生産向上が喫緊の課題だ。しかし現在、東南アジアではゴムの木の葉枯れ病が流行している。
「私たちの研究室はインドネシア政府や企業と協力し、ゴムの木にどのような農薬を与えたら葉枯れ病から回復できるのか研究を進めています」。ここでも栗原博士は、どの化合物が病原菌に効くのか、一つずつ条件を変えて顕微鏡観察を続けている。病気に効果がありそうなものは、現地の人が農薬として散布し、効果を検証する。
細胞の本がきっかけで、生物学を目覚す
研究にしても、読書にしても、栗原博士は興味を持ったらひたすら続けるタイプだ。
「小・中・高を通じてとずっと推理小説を読んできました。宗田理や赤川次郎、東野圭吾や宮部みゆきなど、人気作家の本が多かったですね。自分で推理して、最後どうなるかを考えるのが好きなんです」。
高校生のとき、その後の進路を変える本との出会いがあった。「尊敬する塾の生物の先生から薦められた『ヒト細胞の老化と不死化』(井出利憲)をカバンに入れて持ち歩き、毎日1ページずつ舐めるように読んでいました。細胞の分裂の限界(寿命)研究について書かれた本なのですが、教科書には載っていない細胞周期のことや、がん細胞、染色体の末端を保護するテロメアのことを知って、大きな衝撃を受けました。人間について色々と考えさせられました」。
これを起点に科学雑誌『Newton』や『日経サイエンス』、専門誌の『THE CELL―細胞の分子生物学』などを手に取るようになった。「大学ではこんなに深く学べるのか、と感動し生物学の道を志すことを決意しました」。
塾の生物の先生に紹介された2冊。『ヒト細胞の老化と不死化』(井出利憲)と
『THE CELL―細胞の分子生物学』。
それまではピアノの先生になろうと思っていた栗原博士。生物学の研究者へは、大きな進路変更だが、なぜ生物の世界にそれほど惹かれたのだろう?
「細胞の恒常性の仕組みを知って、生命があまりにも巧妙にできていることに感動したんです。さらにもう一つ理由を挙げると、日頃から“自分のことをよく知りたい”と思っていました。自分のこと、つまり、人間のことについて知るためには、生物学って最高の学問なんじゃないかと思ったんです」。
ZOOMで取材を受けてくださった栗原先生。背後には絵本がズラリ。
ここ5、6年は二児の子育てをするなかで、科学の絵本に夢中だそうだ。「子どもが生まれてから、すごい量の絵本を読んでいます。絵本は短い文で要点を押さえていて、一目見ただけで理解できるように工夫されています。たとえば『あさがお』(荒井真紀)という絵本は、種が200粒描いてある見開きのページがある。言葉で”種が200粒”と書かれているのと、視覚的に200粒を見るのでは印象も変わりますよね。きっと、子どもの記憶にも残ると思います」。
栗原博士の「科学道100冊2021」推薦本
本と豊かな関係を築いてきた栗原博士。今回は「科学道100冊2021」の選書アドバイザーとして、テーマ「つながる地球」の本を3冊推薦していただいた。1冊ずつ紹介する。
みんなのウンチはいったいどこへ?
「松岡たつひでさんの絵がとても素敵です。特に良いのは最後に問題提起をしているところ。他の生き物のウンチは自然の中で循環しているのに、人間やペットのウンチは、トイレやゴミ箱に捨てられてしまいます。では捨てた後はどうなるでしょう?人間は衛生面ばかりを気にして、広い視点で見ると利己的な行動をしています。“私たちは自然に対して何ができるだろう”と考えるきっかけになる1冊です」。
家の中は多様な生物でいっぱい
「家の中の生態系に注目した本。草原、ツンドラ、間欠泉(かんけつせん)の熱湯にさえ生物が棲息するように、冷蔵庫、玄関、シャワーなど家のあらゆるところに生物が棲みついている。身近な生物多様性を活かすも壊すもあなた次第!?“壮大な世界は全てつながっているんだ”と実感できます」。
人間の活動が生態系を崩している
「生物の数はピラミッド型に調整されています。この本では、通常は調整されている生態系が崩れるときに、何が起きているのかを多すぎ、少なすぎ、やりすぎという三つのカテゴリーに分類して分析します。すると、ほとんどが人間のやりすぎに起因することが分かるんです。人間の活動が生態系のバランスにどう影響するのかを教えてくれます」。
子どもの自由な発想で、SDGsを考えて欲しい
人間と地球の生態系に関する3冊を薦めてくださった栗原博士。SDGsについて、子どもと読書する中で、感じることがあったという。水資源の乏しいアフリカの現状を描いた絵本『みずをくむプリンセス』を紹介してくれた。
「主人公のジージーは毎朝何時間もかけて歩いて水を汲みに行くのですが、こういった水不足はどうしたら解消できるでしょう?私が娘に問いかけたところ、“うちの水道からホースを長く長くして、アフリカまで繋いで、水を分けてあげる!”と事もなげに言いました。私はすぐに“そんなの無理だよ!”と言ってしまったのですが、そういう子どもたちの無邪気な思いが発端となって、問題を解決できるかもしれません。実際、絵本の最後には、井戸をつくるプロジェクトにより、村に水が届いたという後日談が載っていました。大人が、最初からできないと思ってしまうことも、子どもは軽々と乗り越えることができる。SDGsのようなやり方が決まっていない問題を、若い世代が自分ごととして考えていくことはとても大事だと思います」。
『みずをくむプリンセス』スーザン・ヴァーデ(文)/ピーター・H・レイノルズ(絵)/さくまゆみこ(訳) さ・え・ら書房 2020年
素敵な本と出会うため、時には目利きに頼ってみよう
最後に中高生へのメッセージを聞くと、とにかく多くの本に出会ってほしいと話してくれた。「本を読むことで、自分一人では経験できないことを見聞きできます。ぜひ、読書を通じていろいろな考えや見方を知って欲しいです。難しくても、分からなくても、その年齢でしか感じられないことがあります。今だから感じる、その違和感を大事にしてほしいです」。
さらに、本との出会い方についても、アドバイスをくれた。「私は生物の先生から細胞の本を薦められたことがきかっけで、科学の世界に入りました。自分の知らない世界に出会うためには、友人や先生に薦めてもらったり、本のプロに頼ったりするのもいいと思います。少し前に、近所の図書館の司書さんに頼んで、渾身の30冊をお薦めしてもらいました。人に選んでもらったことで、自分では手に取ったことのなかった素敵な本との出会いがありました。いくら本が好きでも、自分だけでは見えてない領域や世界があるので、時には目利きに頼ってみるのも良い。その意味で、科学道100冊もたくさんのヒントをくれる素敵な目利きプロジェクトだと思います」。