エミリー・クリスティーヌ・バッゲ博士
脳神経科学研究センター 精神疾患動態研究チーム
研究員
2011年南デンマーク大学卒業(分子生物学学士)。2015年同大学修了(分子生物学修士)。2017年同大学院博士課程修了(分子生物学博士)後、理化学研究所に入所し現職。
ハリー・ポッターとともに成長した
デンマーク南部のロラン島で生まれた。11歳の誕生日、プレゼントの包みをわくわくしながら開けると、『ハリー・ポッターと賢者の石』の分厚い本が出てきた。「えっ、誕生日プレゼントが本なの!?と、ちょっと悲しくなりました。だからしばらく放っておいたのですが、読み始めた途端その世界に夢中になりました。11歳という年齢は、子どもから大人へと変わっていく時期です。物語の中でハリーたちも成長していく。その時期に読むのにぴったりの本でした」。
4巻まではデンマーク語版で読んだが、「だんだん翻訳を待ち切れなくなり、次の『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』は英語版を発売日に買いました。14歳のときで、学校の授業以外で初めて読んだ英語の本です」。デンマークの学校では、9歳くらいから英語の授業が始まる。「英語は得意だったので、大学で英語を学び英語を生かした仕事に就こうと考えていました」。ハリー・ポッターシリーズは全7巻で、デンマーク語版と英語版の2セットを持っている。「日本に来るとき、英語版のセットを持ってきました。仲間や家族との変わることのない強い絆の大切さを学んだ、とても大切な本です」。
カフカとオーウェルから学んだ批判的な視点
高校のとき、授業でフランツ・カフカの『城』を読んだ。「言葉も難しく読むのに苦労しましたが、社会に対して批判的な視点を持つことの大切さを学びました。この本との出会いを境に、考え方や読書の傾向が変わったように思います」。
同じころに読んだジョージ・オーウェルの『動物農場』も印象に残っている。「読みやすいのですが、人間とは何かという強烈なメッセージが込められています。全ての学生に、この本を読んでほしいと思います。与えられた情報、さらには自分の考えについても批判的であることの重要性に気付きました」。
独創的な世界を描く村上春樹との出会い
南デンマーク大学へ進学。専攻は英語ではなく、分子生物学だ。「高校1年生のときに生物学の授業で、ダーウィンの進化論とメンデルの遺伝学を学びました。そのときに分子生物学に魅せられ、大きく方向転換しました」。
授業や実験で忙しい中でも、いろいろな本を読んでいた。「村上春樹が大好きな友人から──今の夫なのですが、薦められて『羊をめぐる冒険』を読み、彼の本が好きになりました」。そして、うれしい出来事があった。2016年、村上春樹がアンデルセン文学賞を受賞し、アンデルセンの生誕地であるオーデンセで授賞式が行われたのだ。「授賞式の後、私が通う大学近くの図書館で村上さんとデンマーク語版の翻訳者との対談イベントがあり、参加できました。作者本人が自分の作品について語る。それは感動の体験でした。そのとき頂いたサインは私の宝物です」。ハリー・ポッターシリーズの著者J・K・ローリングもアンデルセン文学賞を受賞している。
「カフカやオーウェルからは、批判的な思考を学びました。村上春樹からは、常識にとらわれない独創的な世界をつくり出すこと学びました。この二つは、科学の世界でとても重要です」。もちろん、研究にはいろいろな人との連携も欠かせない。仲間を大切にする気持ちは、ハリー・ポッターから学んだものだ。
読んできた全ての本が今の私につながっている
2017年に博士号を取得し、日本へ。現在は、細胞内でエネルギーをつくり出しているミトコンドリアの異常と精神疾患との関係について研究している。デンマークでは、若い人は外国で経験を積むことが推奨されているという。「日本に来てよかった。新しい文化に触れることは、仕事でもプライベートでも、得るものが大きいと実感しています」。
出掛けるときは、必ず本を持っていく。「結局1ページも読めないこともありますが、本を読める状況はつくっておきたいのです。日本に来るときも、できるだけたくさんの本を持ってきたいと思いました。私の生活には本が必要なんです」。
自宅のあふれそうな本棚を見て思う。「どの本も、私の考えに何らかの影響を与えてくれました。子どものころから良い本を読んで、良い思考プロセスを育てることが大切だと感じています。思えば、小さいころから母がよく本を読んでくれました。それらも全て今の私につながっています」。
(取材・執筆:鈴木志乃/フォトンクリエイト、撮影:STUDIO CAC)